top of page

”見える応援”が背中を押してくれたーデフリンピックで実感した「聞こえない自分」と2029年への抱負

  • 執筆者の写真: 片山結愛を応援する会
    片山結愛を応援する会
  • 2026年1月1日
  • 読了時間: 8分

皆様、新年あけましておめでとうございます。2026年が皆様にとって良い一年でありますことを、ご祈念申し上げます。

 

 

さて、2026年最初の記事は、昨年11月に閉幕した東京2025デフリンピック閉幕直後に行った、片山ゆめへのインタビューをお届けします。

 

 

悔しい結果に終わった混合ダブルスのこと、金メダル獲得にいたった混合団体、日本代表チームへの思い。現地、パブリックビューイング、SNS——これまでの皆様から頂戴した支えや応援への感謝。


 

デフリンピックという「デフ・ファースト=『聞こえない・聞こえにくい』ことを第一とする』」環境に身を置いた期間を振り返って、普段はあまり口にしない、「耳が聞こえない自分」ということについても聞いてみました。

 

 

そして、気になる春からの新しい環境についても。

  


少し長文になりますが、是非、ご一読ください。2026年も片山結愛ならびに弊会への変わらぬご愛顧のほど、何卒、宜しくお願い申し上げます。

 

 

 片山ゆめを応援する会一同

 



 

【悔しさも、金メダルも】混合ダブルスと混合団体戦。 デフリンピックを振り返って


――各所で聞かれているとは思いますが、混合ダブルスと混合団体戦を振り返ってみて、いかがですか?


一番に思い浮かぶのは、団体戦でチームが一つとなって金メダルを獲得できたことです。嬉しいという気持ちが一番です。その次には、混合ダブルスで予選敗退し、勝つところを見せられなかったという悔しい思いが出てきます。

 

 

――まずは混合ダブルスから伺います。2試合とも、1時は盛り返しましたね。どこの点が一番悔しかった?

 

どちらも、第1ゲームを落として、第2二ゲームで取り返しました。そしてファイナルゲームの11点までのチェンジコートまでは勝っていたんですけど・・・チェンジコートした後に逆転されて負けてしまいました。2戦とも同じ負け方をしたというところで、選手として同じことをしてしまった、という反省がものすごくあります。

 

 

――デフリンピック直前で、急遽ペアが変わりましたね。その影響についてはどんな風に感じていますか?

 

ペアが変わってしまったところで、プレー面において、お互いギリギリの部分で信頼がまだまだできていなかった、というところがファイナルゲームに出てきたところもあるかもしれません。私達の対戦相手は優勝したんですけれど、逆に、森本選手と組んだからこそ、その相手に対してファイナルゲームまでもつれ込むことができた、という結果論もあります。いろんな考え方ができるかなと思っています。



――次に団体戦について。決勝の中国戦を3対1というスコアで勝ったのは、想定外だったのではないですか?


準決勝(台湾戦)を3対0で勝てたのは、ある程度想定内だったんですけど、決勝戦は最初の男子ダブルスが負けてしまったので、その時点で自分の出番が回ってくる(=最終ゲームまでもつれる)かなと思って準備はしていましたので。そういった意味では、中国戦を3対1で勝てたのは、想定外だったと思います。



――中国は準決勝が長時間の試合となりました。中国が消耗していた影響もあったのでは?


中国は準決勝(インド戦)で台湾と2対2になるほど長引いて、結構疲れた状態だったと思います。日本はその前の韓国戦を3対0で快勝していたので、チームにいい流れもあり、かつ、休む時間もありました。監督含めてのミーティングで気を引き締め直して、次の団体のオーダーに向けて頑張る時間がありました。その時間があった分、余裕を持って、決勝戦に向けて、もう一回気を引き締め直して入ることができたのが、一つの勝因かなと思っています。

 

 

――団体戦では、試合ごとに出場順が違いました。


まず、日本のオーダーと相手国のオーダーを踏まえて本部が調整するので、ギリギリまで本当に全員がアップして、最初入場する時のちょっと前にわかる感じです。……このデフリンピックの国際大会はそんな感じです。


そういうわけで、混合団体のオーダーは、直前まで何番目に出るかわからないんですが、準決勝、決勝とまさかの5番目でした。5番目だと絶対2対2の状態で回ってくる状況なので、1番か2番か3番に出たかったという思いはあります。ただ、回ってきたら絶対自分が勝ってチームを勝たせたいという強い気持ちを持っていたので、『回ってきても大丈夫だよ』という感じでいました。

 

 


”聞こえない”声に”見える”応援。デフファーストで 深まった「聞こえない自分」への実感

 

 


――コートから見た観客席は、どんな風に見えましたか?


団体戦の1日目は日曜日っていうこともあって、3階席、4階席がほぼ満席の状態でした。初めてそこで勝つことができて、勝った後、観客席に向かって、ありがとうって手を振った時の反響は、私たちは聞こえないので、聞こえない人でも見えるような手のひらでのサインや、紙や旗、私の応援する会のタオルを、家族や友達が持ってきてくれていたので、それを見てものすごく嬉しかったです。



――デフリンピックでの試合中は、補聴器を外しているので聞こえませんよね。観客の応援は、どんな風に伝わりましたか?


確かに、皆さんが声を出してくれるのは聞こえないんですけど、応援しに来て席に座ってくれている、という存在はわかります。それだけで、ものすごく力になりますし、1点1点取った時の、観客の皆さんがちょっと動く感じは目に入ってくるので、感じることが出来ます。点を決めた時に拍手が起こるのも目に入ってくるので、とても良かったです。

 

 

――大会期間中は、常に周囲にはデフアスリートがいる環境でした。「デフ・ファースト」という環境は実感していましたか?

 

開会式と閉会式でも、英語と日本語が、会場のスクリーンに文字で映し出されていました。それに加えて、日本手話と国際手話での手話通訳もありました。今までにない情報保障やスタッフの多さに驚きました。  

ホテルでも困ることはありませんでした。現地スタッフの方も手話に興味があるようでしたし、デフリンピックのサポートをしてくれる方も多い印象でした。挨拶も手話でしてくれる方が多く、大会期間中も手話が広がっているのを感じました。

 

 

――高3でデフに転向するまでは、健聴者の中でのプレーでしたね。デフに転向後、何が大きく違うと感じていますか?

 

挨拶からして違うと思います。健聴者なら、部屋に入ったらまず、「おはようございます」と全体に言います。デフの場合は皆聞こえないので、1人1人肩をトントンとして「おはようございます」、と回ります。話す時に1対1でしっかり目を合わせてコミュニケーションを取るところも、健聴者同士では、あまり意識されないところかな、と思います。

 

 

――デフリンピックを経験して、改めて自分の「聞こえ」について意識したことはありますか?

 

自分は人工内耳と補聴器をつけて、1対1の会話だとほぼ100%聞き取って会話できます。このデフの世界に入って・・・もし、人工内耳と補聴器をしてなければ、たくさん困ることがあるわけで。本来の「聞こえない自分」の状態でのプレーを通して、困るところも見えてきました。改めて、手話の重要性や、ろう者の文化の大切さを感じました。競技を通して、手話やろう者の文化を伝えられたらいいのかなと思います。

 

 

――今回のデフリンピックのお陰で、かつてないほどデフスポーツが注目を浴びました。

 

同じバドミントンでも、少し競技の舞台が違っただけで、皆様の力もあり、こうやって結果を残すことができています。障害をマイナスに捉えるのではなく、一つの能力と捉えれば、みんな一人一人の輝ける場所があるという考え方になると思います。周りと比べるのではなく、自分のやりたいこと、輝ける環境で、実力を発揮できる場所は絶対ある。私自身が人生を楽しんでいければ、同じ境遇の聞こえない子どもたちのためにも、自分のためにも、競技を続けてよかったなと今は思っています。

 

 

――デフバドミントンに転向して、聞こえない自分を実感したからこそ、振り返って感じるところがある?

 

これまで、聞こえない自分をそこまで意識することなく、バドミントンに打ち込むことが出来ました。デフバドミントンに転向してから、聞こえない自分に向き合う中で、発音・発声練習、口を読み取る練習、文章の構成など、今までたくさんのサポートを受けながら、不自由なく生活できてきた。そのことへの感謝が、今はものすごくあります。


 


結果で恩返ししたい。これまでの感謝と 2029年へ向けて、新たな環境でのチャレンジへ。 

    

 

――いよいよ、この春からは社会人。環境が大きく変わります。

 

春からは、株式会社ハイレゾ様にアスリート雇用として採用していただきます。午前中は勤務、午後から様々なトレーニングに時間を充てる、という形で、バドミントンに集中できる環境を整えて頂く予定です。まずはその環境に慣れて、しっかり結果で恩返しできるように、自分と向き合い、バドミントンを楽しんで、頑張っていきたいと思います。

 

 

――最後に、地元の綾川町、香川県や応援してくれた方々へメッセージを。

 

今回の東京2025デフリンピックは、高校3年時の転向以来、ずっと目指していた舞台でした。大学1年で代表に選ばれ、3年間ずっと応援やサポートを受けて、このデフリンピックの舞台に立てたことをとても嬉しく思っています。 

本番には現地に駆けつけていただいたり、綾川町役場でのパブリックビューイングなど、様々な形での応援や、SNSを通じてのメッセージもたくさん頂きました。結果ももちろん大事ですが、応援していただけることで、ものすごく楽しく、競技を続けてこられた、と感謝しています。 

今回は団体戦で目標としていた金メダルを持って帰ることができ、皆様にいい報告ができて、嬉しい思いでいっぱいです。次は2029年を目指して、また1年ずつ頑張っていくので、引き続き応援していただけると嬉しいです。


インタビューを行った、讃岐の宿古今 さんにて
インタビューを行った、讃岐の宿古今 さんにて

コメント


bottom of page